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富山地方裁判所 昭和49年(モ)230号 判決

富山市桜町一丁目一番三六号

債権者 立山黒部有峰開発株式会社

右代表者代表取締役 佐伯宗義

右訴訟代理人弁護士 奥野健一

同 鮫島真男

同 鍛冶良道

同 島崎良夫

同 志鷹啓一

同 石原寛

大阪市北区中之島三丁目五番地

債務者 関西電力株式会社

右代表者代表取締役 吉村清三

右訴訟代理人弁護士 色川幸太郎

同 門司恵行

同 小池実

同 林藤之輔

同 俵正市

右訴訟復代理人弁護士 苅野年彦

主文

1  富山地方裁判所昭和四九年(ヨ)第六六号不動産等仮処分命令申請事件について、同裁判所が昭和四九年七月四日になした決定はこれを取消す。

2  債権者の本件仮処分の申請を却下する。

3  訴訟費用は債権者の負担とする。

4  この判決の第一項は、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一、債権者

1  主文第一項掲記の仮処分決定を認可する。

2  訴訟費用は債務者の負担とする。

二、債務者

主文同旨。

第二当事者双方の主張

一、申請の理由

1  当事者

債権者(略称、TKA)は昭和三五年五月九日「立山連峰を中心とした大町―千寿ヶ原間道路、黒部峡谷、有峰盆地を含む観光産業計画についての調査研究を遂げ、その具体的実施案の策定並びにこれらの事業の経営」を目的として設立された株式会社であり、債務者は昭和二六年五月電気事業等の経営を目的として設立された株式会社である。

2  営業譲渡契約の成立

(一) 債務者は、運輸大臣から昭和三八年四月三〇日得た地方鉄道事業法による免許に基づき、扇沢―黒四ダム(黒部川第四水力発電所)間(大町トンネル区間)に無軌条電車(トロリーバス)事業(以下、鉄道事業という)を経営し、これに供する施設として別紙第一、第二物件目録記載の各物件を所有していた。

(二) 債権者と債務者との間に、同三七年一一月二一日後記のとおり、債務者の鉄道事業を債権者に譲渡する契約が成立していた。

3  営業譲渡契約成立までの経緯

(一) 債務者の誓約

(1) 債務者の設立は、いわゆる潮流主義に基づく電気事業再編成によるものであって、これにより富山県の黒部川、庄川両水系の電源は、関西地区に電気を供給し、電源地域社会にこれを供給する義務のない債務者に帰属することとなった。

(2) 富山県の主要な河川である黒部川、庄川のもたらす天恵を失う結果となる右のような電気事業再編成については、同県民の総意は反対にあったのであるが、遂に容れられるところとならなかったのである。そのうえ更に、黒部川上流に債務者によってなされることが予想された黒四ダムの建設により、富山・長野両県を貫通する交通路を開設するという地域社会固有の権益が侵害されることが危惧された。そこで、富山県は右権益の擁護を各方面に要請した。同県選出衆議院議員(当時、以下人名の肩書につき同じ)佐伯宗義は、右要請に基づき、同県選出の衆・参両議院議員を代表して、昭和二六年五月債務者が設立されて以来数次にわたり債務者代表取締役会長堀新及び同社長太田垣士郎と会見して「関西電力(債務者)は、電気事業を営むものとして、電気事業に専念し、将来黒四ダムの建設に当たって交通事業を営み、長野・富山両地域の自然の通路の擁護を本務とする自治社会の固有の権益を侵すことのないよう」要請したのに対し、同人らはこれを了承して、佐伯議員に「富山・長野両地域の自然の通路を開拓しようとする場合には、地域社会に万全の協力を惜しまない」と誓約(以下、誓約という)した。

(二) 基本協約の成立

(1) かねてから富山県では、立山地帯の総合開発計画を審議中であったが、前記背景の下に、同県は債務者との間で、右計画の一環として将来の黒四ダム建設に備え、富山(市)から室堂まで自動車道路を建設し、併せて富山大町(市)間の交通事業を一貫経営する基礎となる新会社を創設することの協議を整えた。そこで、昭和二六年一二月、債務者太田垣社長、佐伯議員等が発起人となって、設立発起人会が開かれ、翌二七年四月一日同人等が取締役となり、佐伯議員が代表取締役社長に就任して立山開発鉄道株式会社(以下、立山開発鉄道という)が設立された。

(2) 昭和三一年に入ると、債務者の黒四発電所建設工事が開始され、債務者はダム建設に要する砂、バラス等の基礎資材の輸送路として、後立山連峰をトンネル(扇沢―黒四ダム間の大町トンネル)で抜ける大町(市)―黒四ダム間の大町ルートの建設に着手し、同三三年これを貫通するに至った。ここにおいて、立山開発鉄道代表取締役社長佐伯宗義は、前記誓約に基づき室堂―扇沢間を一貫する交通路の建設を立山開発鉄道で実施すべく、債務者太田垣社長と再三会合して、同三四年三月五日同人ほか債務者役員らから立山開発鉄道による富山―大町間の交通事業一貫経営の再確認を得た。そこで、立山開発鉄道は同年四月二一日、運輸・建設両大臣に対し、室堂―丸石沢(扇沢付近)間の一般自動車道事業経営免許申請(以下、自動車道免許申請という)をするとともに、債務者に対し、大町ルートの使用承認を要請した。

(3) ところが、同年五月九日に至り、債務者から右立山開発鉄道の要請には今、直ちには添いがたい旨の回答があった。そこで、立山開発鉄道佐伯社長は、事前に債務者太田垣社長の了解を得て、同年六月三日債務者本社において、債務者代表取締役副社長森寿五郎ほか債務者役員らと会談し、前記三月五日に確認したとおり「関西電力が自ら室堂―扇沢間を一貫する交通事業を営む」か「扇沢―黒四ダム間の工事用輸送路を室堂―扇沢間の交通事業を一貫経営するものに与える」かの二者択一を要請したのに対し、同人らから「関西電力は電気事業を本業とするもので、富山・長野両県を一貫する交通事業はもとより、工事用の輸送路を、工事終了後転用して地域の交通を分断するような観光交通事業は営まない」と回答した。これにより、立山開発鉄道と債務者との間に富山―大町間一貫交通事業は立山開発鉄道で営むという基本協約が成立したのである。

(三) 基本協定の成立

(1) 立山・黒部地区の観光開発については、立山開発鉄道による富山―大町間一貫自動車道開発計画のほか、諸説が続出し、特に昭和三五年一月立山町ら黒部川筋の四町から富山・長野両県を結ぶ一貫交通路の早期実現を求める一大請願運動が展開された。そこで、富山県知事吉田実は同県議会の意向を徴したうえ、これら幾多の計画案を綜合調整し、関係者大同団結のもとに一つの企業母体を構成し、これによって富山・長野両県を一貫する交通路を開設することを提言し、関係各方面の賛同を求めた。これに応じて、債務者代表取締役会長に就任していた太田垣士郎、富山県産業顧問(以下、県顧問という)山田昌作及び立山開発鉄道佐伯社長の三者が協議のうえ、右知事の提案に同意し、富山―大町間を一貫する交通事業計画を立山開発鉄道に代って実施する企業体として債権者を設立することとなった。

(2) 同年三月二八日債権者設立のための発起人会が開催され、発起人として、債務者側から債務者太田垣会長の代理人兼本人として債務者常務取締役藤田友次郎、関電産業株式会社代表取締役社長中村鼎、電気事業連合会副会長松根宗一、富山県側から吉田知事、山田県顧問、北陸電力株式会社代表取締役社長金井久兵衛及び立山開発鉄道佐伯社長と、代理出席を含め計八名が出席し、発起人総代に山田県顧問を選任し、債権者の資本及び役員構成ともその比率を債務者側五、富山県側五と定め、前記のとおりその目的を掲げた定款を決定して、債権者が立山開発鉄道の地位を承継して富山―大町間一貫交通事業の経営を行うものであろうことを債務者側出席者が承認し、ここに債務者と設立中の会社である債権者との間に、債権者が経営しようとする右一貫交通事業の達成に債務者が協力すべきことを内容とする基本協定が成立したものである。なお、債務者太田垣会長は、右発起人会終了後、債務者側の出席者から報告を聞いたうえ、その議事録に署名し、右発起人会で議決されたすべての結果について追認している。

(3) そのようにして、同年五月八日債権者の創立総会が開かれ、その席上で前記八名の発起人が取締役に、山田県顧問が代表取締役社長にそれぞれ選任され、前記のとおり同月九日債権者が設立されるに至ったものである。

(四) 確約の成立

(1) 債権者は、設立後、立山開発鉄道の実施した調査測量のあとをうけて二か年にわたり、数千万円を投じて再調査を行い、立山連峰をトンネル(立山トンネル)で抜ける室堂―扇沢間一貫自動車道及び冬季にこれを補う補完施設(ロープウェイなど)の測量設計を完了するに至ったので昭和三七年早々、右交通路開設の具体案をとりまとめた。同年四月二〇日債権者代表取締役社長山田昌作が債務者太田垣会長にこれを示し、債権者取締役会に提案することの賛同を得た。ところが、同年六月二日同人から債務者常務取締役河内明一郎を通じて債権者に対して「黒四ダム―扇沢間の道路は既に工事用としてでき上っているところ、立山トンネルの貫通には相当の歳月を要するので、立山トンネルの方は別会社を設立して、その建設を担当させることとし、これが完成まで、関西電力が工事用輸送路により黒四ダムで折り返す交通事業を経営することに賛成願いたい」との申し入れがあった。そこで、債権者山田社長は、富山県側債権者役員と協議を重ねたうえ、同年八月一一日債務者本社において、債務者太田垣会長と会談することとした。

(2) 右会談において、債権者山田社長は、債務者太田垣会長に対し「関西電力の今回営まなんとする交通事業とTKAの交通事業とを将来一体とすることを前提として、TKAは、暫定的に立山トンネル及びその出口から黒部ダム右岸に取りつけて大町トンネルと結合する補完施設を建設するための新会社を設立する構想をもっているが、この場合、新会社側と関西電力側との間に建設費負担についての格差及び収支の異常な相違が生ずることとなるので、これを調整するため、新会社の資本の持分を、TKAの比率に応じ、関西電力において半額、富山県側において残りの半額を引受けることとし、これにより関西電力の申し入れに応えたい」と回答した。これに対し、債務者太田垣会長は「関西電力の申し入れを承認して貰った以上、立山トンネルが貫通すれば、TKAと関西電力の両交通事業を一体とすべきであるとするTKAの申出の趣旨を承認することは、電源開発事業をなす者としての義務を果すことであり、そのために新会社の発起人となって株式の引受に応ずることは当然である。しかしながら、電力会社は電気事業以外の事業に巨額の資本を投ずることはできないので新会社の持株については監督官庁の認可を要しない額を限度として貰いたい」と述べるとともに、立山開発鉄道の自動車道免許申請の取下げ方説得を要請したが、債権者山田社長はこれを諒承した。ここにおいて、債権者と債務者との間に、(イ)電源開発工事が終了し、立山トンネルが貫通すれば、大町トンネルを使用しての債務者の交通事業を債権者の事業に合体させる、(ロ)債務者は新会社に出資を含めてできるだけ協力する、(ハ)立山開発鉄道に自動車道免許申請の取下げ方を債権者において要請することについて相互の了解(以下、「了解」という)が成立した。

(3) 同年一一月二一日債権者の第一〇回取締役会が開催され、同取締役会において「了解」を基礎とした立山トンネル及び補完施設の新会社による実施と新会社の設立を決定した。右取締役会開催に当たり、債権者山田社長、立山開発鉄道佐伯社長及び債務者太田垣会長の三者が会談し、債務者山田社長が扇沢―黒四ダム間(大町トンネル区間)の工事用輸送路に電源開発工事に支障のない限度において、立山トンネル貫通まで、債務者がトロリーバスを運行することの債務者の申出を承認する一方、債務者太田垣会長は立山トンネルが貫通し、且つ、債務者の黒部川奥地電源開発工事が終了したときは、右トロリーバスによる交通事業経営免許及び同事業に供する一切の施設を相当な価額で債権者に移譲することを確約(以下、確約という)し、立山開発鉄道佐伯社長は自動車道免許申請の取下げを約した。

4  営業譲渡契約成立後の事情

(一) 立山開発鉄道は昭和三八年一月自動車道免許申請を取下げ、債務者は同年二月鉄道事業経営免許申請を行い、前記のとおり同年四月三〇日運輸大臣から右免許を得て、同三九年八月鉄道事業を開始した。

(二) また、前記債権者第一〇回取締役会において設立されることとなった新会社として立山黒部貫光株式会社(以下、立山黒部貫光という)が同三九年一二月二六日設立され、立山黒部貫光は立山トンネル及び前記補完施設の建設工事を実施し、同四四年一二月一五日立山トンネルを貫通させた。

(三) 確約でいう電源開発工事である債務者の黒四発電所建設工事が同四八年六月に終了した。

5  被保全権利

(一) 確約による譲渡請求権

前記のとおり立山トンネルが貫通し、且つ、黒部川奥地電源開発工事が終了し、確約で定めた期限が到来したのであるから、債務者は、確約に基づき、債権者に対し大町トンネル区間のトロリーバスによる交通事業である債務者の鉄道事業に供する一切の施設及び前記鉄道事業経営免許を譲渡すべき債務を負うこととなり、右施設に属する別紙第一、第二物件目録記載の各物件の所有権は債権者に帰属したものである。

(二) 基本協定による請求権

仮に、右(一)の主張が容れられないとするも、債務者は、基本協定により、債権者の富山―大町間一貫交通事業の経営という目的の達成に協力すべき義務を負うこととなるところ、この協力義務の効果として、債権者は本件仮処分の被保全権利たる請求権を有することとなるのである。即ち、右協力義務にはその効果の点からみて、積極的効果と消極的効果の二つの内容が含まれている。前者は、債務者の鉄道事業を債権者に承継せしむべきであるとするものであり、後者は、債権者の富山―大町間一貫交通事業を妨げるべきではないとするものである。債権者は、前者により債務者の鉄道事業譲渡請求権を、後者により債権者の右一貫交通事業の経営を妨げないことを請求する権利を取得したものであり、これらはいずれも本件仮処分の被保全権利たりうるものである。

(三) 「了解」による権利

更にまた、仮に右(二)の主張も容れられないとするも、債権者と債務者との合意であり、法律上の契約である「了解」により、債務者は債権者に対し、鉄道事業施設に含まれる別紙第一、第二物件目録記載の各物件の債権者への移譲を妨げてはならない義務を負い、債権者はこれに対応する権利を取得したものであって、この権利も本件仮処分の被保全権利たりうるものである。

6  仮処分の必要性

(一) 昭和四八年一二月全株式を債務者が保有するくろよん交通株式会社(以下、くろよん交通という)が設立されたが、債務者は同月二七日くろよん交通との間で、別紙第一、第二物件目録記載の各物件を含む鉄道事業用財産一切を譲渡する旨の契約を締結し、くろよん交通とともに、同四九年一月二四日付をもって運輸大臣に対し、右譲渡許可申請書を提出した。

(二) 債権者は同年一一月六日債務者を被告として、富山地方裁判所に本案訴訟を提起し、債務者の鉄道事業譲渡義務の確認のほか別紙第一物件目録記載の各物件につき所有権移転登記手続、同第二物件目録記載の各物件につきその引渡を請求する等して、前記被保全権利を行使しているが、前記債務者、くろよん交通間の譲渡契約書第二条によれば、鉄道事業用財産の譲渡日は譲渡許可の日の翌日となっているところ、もし、前記譲渡申請につき許可がなされることとなれば、右財産は一切くろよん交通に移転し、債権者の右本案訴訟による権利行使が徒労に帰することとなる。

7  結び

よって、債権者は、本件仮処分命令の維持を求める。

二、申請理由に対する答弁

1  申請理由第1項は認める。

2(一)  同第2項(一)は認める。

(二)  同(二)は否認する。

3(一)(1) 同第3項(一)の(1)は認める。

(2) 同(2)のうち、黒部川、庄川が富山県の河川であること及び昭和二六年五月頃堀新、太田垣士郎がそれぞれ肩書の地位にあったことは認め、佐伯宗義が肩書の地位にあったことを除く、その余は否認する。

(二)(1)  同(二)の(1)のうち、太田垣が肩書の地位にあったこと(同人の肩書につき以下同じ)及び債権者主張の日に設立発起人会が開かれ、主張の日に、主張の者がそれぞれ取締役、代表取締役社長に就任して立山開発鉄道が設立されたことは認め、佐伯が肩書の地位にあったことを除く、その余は否認する。

(2) 同(2)のうち、債権者主張のとおり黒四発電所の建設工事が開始され、債務者が大町ルートの建設に着手し、これが主張の年に貫通したこと、立山開発鉄道が債権者主張のとおり自動車道免許申請をするとともに債務者に対し大町ルートの使用承認を要請したこと及び佐伯宗義が肩書の地位にあったこと(同人の肩書につき以下同じ)は認め、その余は否認する。

(3) 同(3)のうち、債務者が債権者に対しその主張のような回答をしたこと及び森寿五郎が肩書の地位にあったことは認め、その余は否認する。

(三)(1)  同(三)の(1)は、吉田実、山田昌作がそれぞれ肩書の地位にあったことを除き、否認する。

(2) 同(2)のうち、債権者主張の日に債権者の設立発起人会が開かれたこと、肩書の地位にあった藤田友次郎が右発起人会に出席したこと、主張の八名が発起人となったこと、右発起人会で債権者の資本及び役員構成の比率が主張のとおり定められ、主張のとおりの定款が決定されたこと並びに右発起人会終了後太田垣がその議事録に署名したことは認め、中村鼎、松根宗一、吉田、山田及び金井久兵衛がそれぞれ肩書の地位にあったことを除く、その余は否認する。

(3) 同(3)は、山田が肩書の地位にあったことを除き、認める。

(四)(1)  同(四)の(1)のうち、山田昌作、河内明一郎がそれぞれ肩書の地位にあったこと(山田昌作の肩書につき以下同じ)、債権者の主張するそれぞれの日に、山田と太田垣又は山田と河内明一郎とが会談したことは認め、その余は否認する。

(2) 同(2)は否認する。

(3) 同(3)のうち、債権者主張の日に債権者の第一〇回取締役会が開催され、同取締役会で立山トンネル及び補完施設の新会社による実施と新会社の設立を決定したことは認め、その余は否認する。

4(一)  同第4項(一)、(二)は認める。

(二)  同(三)のうち、債務者の黒四発電所建設工事が債権者主張の月に終了したことは認め、その余は争う。

5(一)  同第5項(一)ないし(三)は争う。

(二)  なお、右(二)及び(三)の債権者の主張は、本件仮処分決定申請に当っては主張されていなかったものを、本件異議訴訟において新たに追加したものであるが、被保全権利の変更はたとえ予備的であっても仮処分決定発令後は許されないというべきである。即ち、仮処分異議の裁判はその対象となっている仮処分決定の当否をその発令時の状態において判断するものである。従って、被保全権利及び保全の必要性の有無はいずれも原決定発令の時期の状態において判断すべきである。このことは、異議の裁判が原決定の認可、取消を言渡すべきことを要求されていることからみても明らかである。

6(一)  同第6項(一)は認める。

(二)  同(二)のうち、債権者主張のとおり主張の譲渡契約書の条項に定められていることは認め、保全の必要がある旨の主張は争う。

第三当事者双方の提出・援用した疎明

≪省略≫

理由

第一当事者間に争いのない事実

申請の理由第1項及び第2項(一)の事実は当事者間に争いがない。

第二営業譲渡契約の成否

一、確約の成否

1  債権者は、昭和三七年一一月二一日債権者第一〇回取締役会の開催に当たり、債権者代表取締役社長山田昌作、立山開発鉄道(立山開発鉄道株式会社)代表取締役社長佐伯宗義及び債務者代表取締役会長太田垣士郎の三者が会談し、債務者が大町トンネル区間で営むトロリーバスによる交通事業経営免許及び同事業に供する一切の施設の譲渡・譲り受けを内容とする確約が成立した旨主張し、右主張の日に主張の取締役会が開催され、右三者がこれに出席したことは当事者間に争いがなく、≪証拠省略≫中には確約が成立した旨の記載又は供述があるが、いずれも容易に採用し難い。

2  まず、確約が成立したと債権者の主張する債権者第一〇回取締役会開催までの経緯及びその後の事情につき検討するに、≪証拠省略≫を綜合すれば、次のとおり一応認められる。

(一) 昭和二六年五月一日、電気事業再編成により日本発送電株式会社(以下、日本発送電という)が解体せられ、債務者を含む九電力会社が設立され、黒部川筋の電源開発の主体が日本発送電から債務者に移ることとなり、債務者は、黒四ダム(黒部川第四水力発電所ダム)を建設し、その下流の設備を増強する方針のもとに黒部川筋の電源開発計画(以下、黒四計画という)を進めることになった。

もっとも、当時黒四ダム建設に要する資材輸送路については、富山側からか、大町側からかの決定を見ず、未確定であったが、翌二七年に至って資材輸送方法として大町からダム地点に軌道を建設する方針でダム地点と大町を結ぶ間の地形測量が開始されるに至り、このルートの調査進展とともに、同三〇年六月ダム地点の近くに常設の黒部川第四水力調査所が設置され、ダム地点の本格的調査・測量が開始され、黒四計画はその成案が固められ、同三一年四月一日着工される運びとなった。

(二) 一方、債務者が設立され、その黒四計画が進められるのに対応し、立山を中心とする山嶽地帯の総合開発の機運が富山県及び県内有力者の間で高まり、その結果、昭和二六年一二月一日富山県主催による立山観光事業計画に関する懇談会が県内有力者や債務者の出席を得て開催された。そして、右懇談会において、富山県は、観光事業として、(イ)富山地方鉄道の千寿ヶ原までの延長、(ロ)千寿ヶ原―美女平間の鋼索鉄道の新設、(ハ)美女平―室堂間の自動車道路開設、(ニ)追分小屋附近に温泉ホテルの新設、(ホ)自動車事業の経営、(ヘ)室堂より御山谷を経て黒部川沿え阿曾ヶ原に至る観光歩道の開設等を計画し、右のうち、鋼索鉄道、温泉ホテル及び観光自動車事業については、株式会社(仮名立山開発鉄道)を設立してその開発経営に当たることを予定していることが示され、出席者に対し、新会社設立に関し、出資等の協力を要請した。右要請に対し、債務者は、黒四ダム建設資材輸送の役割を担うことを期待して、右新会社設立に関し、出資を含めて協力をする旨を約した。

(三) 右経過を経て、債務者の代表取締役社長太田垣士郎も発起人及び取締役の一員となり、県内有力者の一人であった佐伯宗義が代表取締役となって昭和二七年四月一日立山開発鉄道が設立され(当事者間に争いない事実)、払込資本金二、五〇〇万円のうち金八〇〇万円を債務者において出資した。

立山開発鉄道の事業計画としては、(イ)千寿ヶ原から美女平に至る地方鉄道(鋼索鉄道)事業、(ロ)美女平から室堂に至る自動車事業、(ハ)追分小屋附近における温泉、観光ホテル事業等が予定され、設立後、逐次これが実行に移された。

(四) しかるところ、債務者の黒四計画が昭和三一年に着工され、大町から黒四ダムに至る資材輸送路(大町ルート)を含め、近い将来完成する目途が立つに至った同三四年前後、立山開発鉄道により、債務者の開設した大町ルートを債務者の黒四計画工事終了後、立山開発鉄道においてこれを使用し、富山―大町間を結ぶ自動車道の開発と一貫経営をなす計画が立てられるに至った。

そして、同年三月五日、立山開発鉄道代表取締役社長佐伯宗義が債務者代表取締役会長太田垣士郎と会談をなし(当事者間に争いない事実)、右立山開発鉄道の富山―大町間自動車道の開発及び一貫経営案を示してその理解を求めるとともに、同年四月一六日付書面をもって、債務者に対し、債務者の黒四ダム―丸石沢(扇沢附近)間の通路の使用方を要請(以下、大町ルートの使用要請という)したうえ、同月二一日運輸・建設両大臣に対し、室堂―丸石沢間の一般自動車道事業経営免許の申請をなした(立山開発鉄道が債務者に前記通路の使用方を要請したこと及び運輸・建設両大臣に対し、前記免許の申請をなしたことは当事者間に争いがない)。

(五) しかし、立山開発鉄道の大町ルートの使用要請に対し、債務者は、昭和三四年五月九日付文書をもって「目下弊社の建設工事最盛期であり、且つこのルートの利用については関係当局及び地元両県との関係もあり十分検討を要することでありますので御申越の道路使用につきましては遺憾ながら貴意に副い難い」との回答をなしたため、立山開発鉄道の富山―大町間自動車道開発及び一貫経営はその実現が困難となった。

(六) ところで、立山開発鉄道が前記一貫経営案を立てた当時、立山開発計画につき、富山県内の各町或いは県内有力者から各種の意見ないし案が発表され、しかも、それ等各意見等は、立山開発鉄道の前記一貫経営案と同様、債務者の黒四計画と密接に関連するため、債務者をも含め、債務者の黒四計画との関連において如何に調整するかが各関係者の間で問題となっていたところ、立山開発鉄道の一貫経営案が前記のとおりその実現が困難となるに及んだのを機に、右問題が表面化し、そのため立山開発鉄道を含む県内有力者と債務者との間で協議がなされ、その結果富山県の進言を受けて従来の立山開発に関する各種案をすべて白紙に還元し、債務者の黒四計画との関連において総合調整する方向で意見の一致をみるに至り、また、その具体的方法として債務者を含む各関係者が協力して新会社を設立して右総合調整の役割を担当させること及び右新会社設立の構想を富山県産業顧問(以下、県顧問という)山田昌作に依頼する旨の合意を見るに至った。

(七) 右依頼を受けた山田県顧問は、次のような新会社設立の構想を作成した。即ち、

新会社の事業目的は「立山を中心とした大町―千寿ヶ原間道路、黒部峡谷、有峰盆地を含む観光産業計画についての調査研究を遂げその具体的実施案を策定する」こととし、右調査結果次第によっては、同結果に基づく道路事業等の事業を新会社自ら行うことが有り得るものとした。

(八) かくて、右新会社として債権者が設立されることとなり、債権者設立のための発起人会が昭和三五年三月二八日開催された(当事者間に争いない事実)。

右発起人会には、債務者側から債務者太田垣会長、同常務取締役藤田友次郎、関電産業株式会社(以下、関電産業という)代表取締役社長中村鼎、電気事業連合会副会長松根宗一、富山県側から山田県顧問、北陸電力株式会社代表取締役社長金井久兵衛及び立山開発鉄道佐伯社長の八名が発起人として出席し(但し、債務者太田垣会長は委任状による出席、なお、前記八名が発起人であったこと及び債務者藤田常務が前記発起人会に出席したことは当事者間に争いがない)、発起人総代に山田県顧問を選任し、債権者の資本及び役員構成の比率を関電産業を含めた債務者側五、富山県側五と定め、定款を決定した(当事者間に争いない事実)。その定款には事業目的として、「立山連峰を中心とした大町・千寿ヶ原間道路、黒部峡谷、有峰盆地を含む観光産業計画についての調査研究を遂げ、その具体的実施案の策定」以外に「これら事業の経営」が挙げられたが(当事者間に争いない事実)、これは債権者が株式会社の形式をもって設立されたことから来る登記上の便宜もさることながら、調査結果次第によっては将来右事業の経営を行うことが有り得ることから右のような定款の記載となったものである。

(九) そして、昭和三五年五月九日、前記八名の発起人がいずれも取締役、山田県顧問が代表取締役に就任して、債権者が設立され(当事者間に争いない事実)、その後、債権者は、富山県等において行った交通の調査資料、実施測量及び越冬観測資料等を引継いだうえ、前記山田構想に従い、立山ルート(富山―藤橋―弥陀ヶ原―黒四ダム―大町)、黒部ルート(黒四ダム―仙人谷―欅平―宇奈月―黒部市)及び有峰ルート(猪谷―土―有峰ダム―立山温泉―弥陀ヶ原、有峰ダム―小見―富山)の三ルートについて、債権者独自の立場において交通量の想定とその経済性の研究並びにこれに基づく施設の基本構想を立て、その調査・測量・設計を進めた。

しかるところ、右調査・測量等が進むにつれて、殊に同三六年末頃からそれ等三ルートにおける道路事業等の開発実施主体を如何にするかが債権者内部において論議されるに至り、翌三七年に入り、富山―ヨセ沢(北大町)間自動車道の開発及び一貫経営を債権者或いは債務者の協力のもとに設立する新会社においてなす旨の案(以下、一貫経営案という)が有力に主張された。これを受けた債権者代表取締役社長山田昌作は、同年四月二〇日債務者太田垣会長と会談し(会談をなしたことは当事者間に争いがない)、右一貫経営案についての債務者の意向を打診した。

(十) 債務者は、右債権者山田社長の示した一貫経営案に対し、同年六月二日次のような回答を債務者常務取締役河内明一郎を通じて債権者山田社長になした(同日、上記両者が会合をもったことは当事者間に争いがない)。

「黒四ダム―北大町間の通路は黒四発電所の発電設備と一体不可分のもので、発電施設の保守管理並びに将来の電源開発のため債務者がこれを管理する必要があるので、右道路は譲渡又は貸与しない。従って右通路を使用しての輸送事業については、債権者の一貫経営案から除外されたい」

(十一) 債務者の右回答を受けた債権者山田社長は、前記一貫経営案を実現する望みを棄てないまでも、債務者の立場を考慮した場合、現状において右実現は実際上不可能であるため、富山―北大町間における運輸施設の開発とその事業の経営主体につき、次のような案(以下、山田私案という)を作成した。

(1) 工事区間を二分割し、富山―黒四ダム間をA区間、黒四ダム―北大町間をB区間とし、A区間の工事及び運営は地元側のつくるA会社、B区間は債務者のつくるB会社において(債務者の都合により別会社をつくらないこともありうる)、それぞれ責任をもって実施に当たる。

(2) 工事完成はA会社は昭和四一年九月末営業開始を目標とし、B会社はこれに先立つものとする。

(3) 両会社の収益力の格差調整のため、B会社はA会社の資本金の三分の一以上を出資する。

(4) AB両会社ができた場合、その運営については、別会社でありながら恰かも一会社であると同様の協調運営をなし、もって全体の総合成果をあげる。

(十二) 次いで、債権者山田社長は、昭和三七年八月三日頃立山開発鉄道佐伯社長及び富山県知事吉田実に対し、前記山田私案を説明したうえ、同月一一日債務者太田垣社長と会談をなし(同日、上記両者の会談がなされたことは当事者間に争いがない)、その際、山田私案を示してその賛同を求めたところ、債務者太田垣会長は、山田私案の前記(3)項のほかの項はこれを承認したが、(3)項については債務者の事業の性格から巨額の出資をなすことは出来ず、そこには限度がある旨回答をなしたのに対し、債権者山田社長は右回答を諒承した。

(十三) かくて、富山―北大町間の運輸施設の開発及びその経営の主体並びにその実施方法について、前記山田私案に基づくことの了解が債権者・債務者間において成立したことから、昭和三七年一一月二一日債権者の第一〇回取締役会が開催され(同日、上記取締役会が開催されたことは当事者間に争いがない)、同取締役会において、富山から黒四ダムまでの基幹ルートは新会社を設立して実施する旨決議された。

(十四) そして、右新会社として立山黒部貫光が昭和三九年一二月二六日設立され(当事者間に争いない事実)、その事業内容として室堂から黒四ダムの間に自動車道(立山トンネル)、ロープウェイ、地下ケーブル等の交通路及びその施設を開発し、その経営に当ることが予定され、その後、右開発工事が進められ、逐次完成されると同時にその経営がなされるに至った。

以上の事実が一応認められ(る。)≪証拠判断省略≫

3  ところで、債権者は、昭和二六年債務者太田垣社長が富山県選出衆議院議員佐伯宗義に対し、富山・長野両地域の自然の通路即ち富山・長野両県を貫通する道路を開設しようとする場合に債務者は協力することを誓約した旨主張し、これに添う≪証拠省略≫がある。

しかし、前示のように、同年一二月開催された立山観光事業計画に関する懇談会で提示された立山開発鉄道の事業目的として掲げられた自動車道の開設も美女平から室堂までのものであり、その頃は、黒四ダム建設資材輸送路として大町からのものを開設することとするかどうかも債務者として未確定の状態にあったことからすれば、軽い社交的会話としてならばとも角、要請に対する誓約という強固な実現意思に裏打ちされたものとしての約束が成立したとは到底納得できない。そして、債務者が立山開発鉄道に資本及び役員を出したことも、立山開発鉄道の事業目的からして、債権者の右主張を裏づけるもの足り得ず、他にこれを疎明する資料はない。

4  次に、債権者は、昭和三五年六月三日債務者森副社長ら債務者役員から立山開発鉄道が富山―大町間の一貫交通事業を経営することの確認ないし了承を得た旨主張し、前掲疎甲第一六号証、証人高橋良太郎の証言、債権者代表者佐伯宗義の本人尋問の結果中にはこれに添う記載又は供述がある。

そして、右各疎明によれば、右については、既に、同年三月五日立山開発鉄道佐伯社長と債務者太田垣会長との会談の際、同人の了承を得ていたものであるというのであるが、その直後立山開発鉄道からなされた大町ルートの使用要請に対し、債務者からこれを拒否する回答がきていること、更に、右証人らの供述するように、同年五月三一日から翌日にかけて、立山開発鉄道佐伯社長が債務者太田垣会長と会合して釈明し、そのうえ重ねて、右主張のように債務者役員と会談に赴くという波状的に会合・会談を行っていること及び≪証拠省略≫によれば、その後の債権者の設立に当たり、債務者は、債権者の定款に目的として「事業の経営」を掲げることには消極的であったと認められること等よりすれば、前掲各疎明を採用して直ちに債権者の右主張を認定することはできない。

5  次に、債権者は、昭和三六年三月二八日開催された債権者の設立発起人会において、債務者が参加・協力して、定款に前示目的を掲げた債権者の設立を決定したことにより、債務者は、債権者が立山開発鉄道の地位を承継して富山―大町間一貫交通事業の経営を行うものであろうことを承認したこととなり、債務者に債権者の右事業の達成に協力すべき義務を生じさせることとなる法律上の契約としての基本協定が、設立中の会社たる債権者との間に成立したものである旨主張するが、到底採用できない。

なるほど、債務者太田垣会長は右発起人会の議事録に署名しているが、それが債務者代表者としてのものでないことは≪証拠省略≫により認められるところであるばかりでなく、前示目的を掲げた債権者の定款等を議決する行為に、当該目的たる事業の達成に協力するという法律上の意思の表示が伴うものと解すべき根拠はないし、更には、債務者側発起人に債務者から右意思表示をなす権限を与えられ、且つその意思をもって臨んだものがいることを認めるに足りる疎明はない。

6  次に、債権者は、昭和三七年四月二〇日債務者太田垣会長から、債権者取締役会に提案すべき室堂―扇沢間一貫交通路開設の具体案につき賛同を得、次いで同年八月一一日、債務者の電源開発工事が終了し、立山トンネルが貫通すれば、大町トンネルを使用しての債務者の交通事業は債権者の事業に合体させる等の事項につき債務者太田垣会長の了解を取りつけた旨主張する。

≪証拠省略≫中にはこれに添うかのような記載又は供述があるが、いずれも的確なものとはいい難いのみならず、前示債務者河内常務が同年六月二日債権者に持参した回答内容に照らしても、債権者の右主張は採用できない。

7  確約であるが、前示債権者の第一〇回取締役会までの経緯及び叙上のとおり、債権者においてその前提事実として主張する誓約以下の合意が認められないことに加えて、前掲確約の存在を支持する各疎明にあっても、例えば、唯一の直接的・最良証拠(疎明)と目される債権者代表者佐伯宗義本人は、確約の重要且つ不可欠の要素である譲渡価額について、「かかった金」、「経理上から申しますと簿価」或は「償却した過去の金をこれにプラスして寄こせと、こういうことを言われるといたしますならば、我々はそれを認めなならん」というように供述し、到底これを明確にするものではないなど曖昧さが附き纏っていること、また、右各疎明及び弁論の全趣旨によれば、確約は譲渡対象物件の範囲、効力発生時期及び権利移転時期(免許事業にあっては、事業譲渡契約の効力又は譲渡対象物件の権利移転時期は免許の譲渡許可の時期を考慮して定めなければ、譲渡対象物件の一部又は全部の所有権は譲受人に移転したが、譲渡許可がないため事業経営ができない、他方譲渡人は事業財産が欠けるため同じく事業経営ができないといった事態の招来することは必至とみられる)、その他この種契約において通常定められるべき事項についての取り極めが一切ないこと(本件において対象となった事業が将来開始されるものであったとしても、確約があれば、その内容を具体化する作業が後続すべきものである。≪証拠省略≫によれば、右作業が債権者・債務者でなされなかったのはもとより、債権者においては、債務者は軌道法により事業経営免許を受けるものと考えていたところ、前示のように地方鉄道法によるそれを受けたのであるが、その事実を債権者は債務者から知らされることのないまま、かなり後まで知らずにいたことが認められるのである)、更には、覚き書き程度の書面も作成されず、債権者の内部に確約に関する一切の記録も残されず、確約の内容の明確化、保存がなされていないこと(債権者、債務者のような会社にあって、価額その他からして重要な、しかもその履行が将来においてなされることの約された契約が締結されながら、機関たる代表者個人の胸中にのみ留められるとは、一般の理解を遙かに超えるものといいうるであろう)が認められるところよりすれば、前掲確約の成立を支持する各疎明はいずれも信用できず、他にこれを疎明するに足りる資料は存しない。

第三被保全権利の存否

一、債権者の確約に基づく被保全権利の主張は、前叙のとおり、確約の成立が認められない以上、理由がないことはいうまでもない。

二、債権者の基本協定及び「了解」に基づく被保全権利の予備的主張はいずれも原決定たる本件仮処分決定申請に当っては主張されてなく、本件異議訴訟で新たに追加されたものであるが、そのように被保全権利に関する主張の追加も請求の基礎に変更のない限り許されると解するのを相当とするところ、本件において、右追加された主張に係る請求と当初の主張に係る請求とはその基礎が同一であることは明らかというべきである。

しかしながら、その法律的性質につき検討を加えるまでもなく、基本協定及び「了解」ともその成立が認められないこと前叙のとおりであるから、これらに基づく債権者の被保全権利の主張はいずれも理由がないというべきである。

第四結論

そうすると、本件仮処分の申請は、結局、被保全権利についてその疎明がないことに帰し、且つ保証をもってこれに代えるのは相当でないから、その余の点を更に判断をなすまでもなく、これを認容した主文第一項掲記の仮処分決定を取り消し、本件仮処分の申請を却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 豊島利夫 裁判官 糟谷邦彦 裁判官 山田賢)

〈以下省略〉

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